鍋島直茂

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鍋島 直茂(なべしま なおしげ)は、九州戦国武将。後に第零代佐賀藩主となった。肥前の「クマー」こと龍造寺隆信の片腕であり、その正体は猫の妖怪であったという。世間からは肥前の妖怪闇鍋奉行などさまざまな異名をもって呼ばれた。また結果的に龍造寺家を乗っ取ってしまったことからアク代官とも呼ばれる。

目次

[編集] 人物

[編集] 飼育者として

実は直茂は主君龍造寺隆信の異父兄弟である。隆信のママの慶誾尼は烈女として知られている。前の夫であり、間に隆信を設けた龍造寺周家が、馬場頼周の画策で謀殺されたため、性欲を発散する対象がいなくなったので、婚活を初め、鍋島清房を篭絡して、彼との間に直茂を設けたのであった。

これは龍造寺家中にとって、お家を揺るがしかねない大スキャンダルであり、家老達は直茂を殺すことも検討したが、慶誾尼が激怒したので手が出せなかった。そこで、家老達は、直茂に徹底して隆信の下僕として振る舞うよう教育を施した。それが奏功して、直茂は隆信の忠実な子分(飼育監督者)となった。

直茂は発明家としても卓越しており、多彩な秘密兵器を製造、それらは大友宗麟との戦いで龍造寺軍の勝利に大きく貢献し、そのおかげで龍造寺家は大友、島津に劣らぬ一大勢力へとのし上がった。アームストロング砲を発明したのも直茂である。

[編集] 内に潜むダークサイド

粗暴な隆信と対象的に直茂は思慮深く冷静、悪く言えば陰湿な面もある人柄であった。あるとき直茂に人面瘡が発症したときのこと、それを広橋信了が極小サイズの針で突いて除去した際、直茂は「痛いたいたいたいたいッ! 死んじゃうよ~ママン!」と泣き喚いて注射嫌いを露呈してしまったのだが、「これくらいで痛いの? ねぇ痛いの? ねぇ?」と問われ、恥ずかしさのあまり信了の頬を小刀で斬りつける狭量っぷりを見せつける。しかも直茂はこれを長らく根に持っており、信了がビッグサンダー・マウンテンの行列に並んでいたのを、「俺らが進めねぇだろ、早よ行けやグルァ!」とその背中を強く足蹴にした。バランスを崩した信了は鉱山列車の乗り口の階段から落ちて敢え無く絶命したが、直茂はその血まみれとなった死体を不敵な笑みで見つめ続ける始末だった。また、脱法ドラッグ”カトリック”を常用するジャンキーに隆信がケンカを吹っ掛けた際、同じく仲の悪かった勝屋勝一軒がピンチであるにも関わらず、自らはクラックをキメこみ、勝一軒を見殺しにしようとした。さすがに怒った隆信が勝一軒を助けるよう命じたため渋々手助けしたが、この陰湿な性格は治ることがなかった。

ただし、直茂は「肥前のクマー」を手懐けられる唯一の人物でもあった。しかし手懐けると言ってもあくまで隆信は直茂にとって主君である為、上下関係は隆信の方が上である。そのため反抗されたり八つ当たりされたりして直茂は身体中に無数の引っ掻き傷やアザ、咬み痕が出来てしまった。半殺しにされ生死の境をさまようことも日常茶飯事であったと言う。それでも直茂は隆信へ忠誠(餌付け)を尽くした。この直茂の忠誠はかの「葉隠」の中で胡散臭いほど誇張されて描かれているので、クマ飼育の教本としては一切役立たない。

ところがその主従に終わりを告げる出来事が起こった。隆信が沖田畷の合戦で島津家の常套手段である釣り野伏にホイホイ引っかかってクマ鍋にされてしまったのである。

隆信に忠実であった直茂だが、何と陰湿な直茂はこの時に隆信も見殺しにしたらしい(もののついでとばかり、このときに勝一軒も見殺しにしている)。葉隠はじめ、佐賀藩に伝わる文書では、直茂が必死に制止したのに隆信がそれを聞かずに突撃を敢行した、などと、直茂を正当化する為の粉飾が施されているが、佐賀藩出身で内閣総理大臣になり、早稲田大学を作った偉人大隈重信もそう証言しているし、何より井沢元彦がタイムマシンで時間を遡行して実際に沖田畷の趨勢を検証し、その通りであったと発言しているので間違いない。いくら直茂と言えども、猛獣であるクマーを手懐けるのはムリと判断したのだろう。そして、陰湿な性格がムクムクと頭を擡げたのだろう。

[編集] 暗黒面の発露

百武賢兼成松信勝ら、龍造寺四天王を初めとする、隆信股肱の臣らも殆ど隆信と一緒に討死し、龍造寺家は疲弊しきっており、頼りになるのは直茂一人という状況であった。とはいえ、広橋信了や勝屋勝一軒の時のように味方が死ぬよう仕向けるのに躊躇いが無いから、つまりこの結果は当然と言えば当然なのである。また、隆信には龍造寺政家という子があり、龍造寺信周龍造寺長信ら一門の連中も生き残っていたのだが、政家は病弱で主体性がなく、信周や長信ら一門は直茂が龍造寺家を統率することを真っ先に支持した。彼らが前もって賄賂やら何やらで直茂に懐柔されていたことは想像に難くない。

その後直茂は、猫を被って島津に従うふりをしながら、豊臣秀吉が九州まで進軍してくるとその傘下に臣従して島津に矛先を向けるなど、化け猫ぶりを遺憾なく発揮する。秀吉政権下で行われた朝鮮出兵にも従軍し、島津義弘にも劣らない武勲を挙げたが、張りきり過ぎて朝鮮人を殺しすぎ、また沢山の朝鮮人を強制連行して唐津焼有田焼鍋島焼を作らせてはゼニ儲けに興じたため、「隣国への配慮」というNHKの金科玉条に抵触してしまう形となり大河ドラマに出れなくなってしまった。

1600年の関ヶ原の合戦では、息子鍋島勝茂石田三成の元に派遣したが、自分は国元にいて黒田官兵衛と一緒になにやら画策していたらしい。そして本戦が家康の勝利に終わり、勝茂が佐賀に戻ってくると、自分が勝茂を西軍に派遣させたことを棚上げして、「てめぇ、何故西軍につきやがった! 俺の息子のくせして時流の読めないクソが!」と、勝茂をなじり倒し、殴り飛ばし、倒れた背中へ散々蹴りを叩き込み、タバコの火を勝茂の腹で消した挙句、その頬へツバを吐き付けるなど陰湿なまでに叱責した。勝茂が理不尽な想いをしたことは言うまでもない。

直茂は大坂の陣の後まで生き延び、80歳という長寿を保ったが、晩年は痴呆になった挙句、お家を乗っ取ったことを恨む龍造寺隆信の怨念にたたられていると勝手に思いこんで、度々発狂していた。隆信の孫である龍造寺高房が、鍋島家に家の主導権が事実上推移し、直茂に家中を掌握されてしまったことを不服として自害すると、一層拍車がかかり、息子の勝茂は親父を押さえつけるのに大層苦労したらしい。巷の人々はそんな直茂の狂態を見て、死せるクマーが生きる化け猫を走らすと揶揄した。

[編集] 主君隆信との関係

  • 直茂が「お手」と言えば隆信が直茂の頭に噛み付く。
  • 直茂が「お座り」と言えば隆信が直茂にベアハッグを食らわせる。
  • 直茂が「赤上げて」と言えば隆信がちゃぶ台返しをする。
  • 直茂が「白下げない」と言えば隆信が冬眠する。

[編集] ドラえもんとの関係

一見、全く異なる外見の両者だが…
よーく見ると瓜二つだろう?

暴走しがちな主君を助ける、様々な兵器や道具を発明するなど、ドラえもんと共通する点があるため、彼の祖先ではないかと言われている。

[編集] 関連項目

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